ナルトに初めて会ったのは何年前のことだろう… もう遥か昔の事で忘れてしまった… その当時まだ暗部だった俺が任務の帰りに偶々立ち寄った森で聞こえた悲しげな歌声。 その声に導かれるように辿り付いた先には美しい満月を映した湖と 満月に良く似た金色を持つ少年が居た。 彼の紅い瞳に俺は酷く惹かれた…強い光を宿したとても美しい瞳に。
肆 * 夢死 - DEATH -
何年振りかに訪れた湖は相変わらず美しく、空にはあの時と同じ巨大な満月がのさばっていた。 そして次の瞬間俺はハッと息を呑んだ。 水中から現れた里で唯一の色を持つ子供は何の衒いもなくその弾けんばかりの肢体を 夜風に晒し、一通り乾かし終えると素早く衣を纏う。 俺はその一部始終を息を殺して見ていた。 玉のような深紅の瞳は間違いなく夢幻のもの… しかしその頬に走る印が夢幻などいないと否定する。 余りにも神々しいその姿形…あの少年はこんなにも美しかったのか… 憎という感情はこんなにも目の前のものを歪めてしまう。 こんなにも純粋で麗しい人間が果たしてこの地球上に何人存在しているのだろう… そういえば九尾の妖狐は本来土地神の一種なのだそうだ。 ここにも里の者たちが目を背けている事実がある… 里人は大切なものから目を逸らし、自分の憎しみを一心にナルトに捧げる事で己を保った。 この俺自身も…先生を失った悲しみから逃れる為にナルトを憎み続けた。 今考えてみればとても莫迦なことをした…そして修復できない溝を作り上げた。 それでもその溝を修復したいと、莫迦な俺は足掻くのだ…
「夢げ…」
思わず夢幻、と呼んでしまいそうになり激しく頭を振る。
「ナルト…」
俺の声はあの少年に届くのだろうか?
「何か用?」
何日か振りに俺に向けられたナルトの声…それはとても冷たくナイフのように突き刺さる。 ナルトは背を向けたまま、俺の方を振り向こうとしない。 もう見たくもないということなのか… 言葉を紡ぐ事が出来ない俺を嘲笑うかのようにナルトは鼻で笑った。
「アンタの夢幻はもういないよ?ここにはアンタの大ッ嫌いなうずまきナルトしか居ない」
なのに用があるの?と、暗にさっさとここから立ち去れと言っているのだろう…
「俺は…その………この前の…コ…トを」
巧く言葉が紡げない自分に腹が立つ。 もう二十七だというのに…俺の半生にも満たない子供に気圧されて… 否、これは戸惑いだ… 自分の気持ちを伝えたくて、でもどんな言葉を紡げばいいのかわからない… そんなまるで子供の恋愛のような…
「そんなの忘れちゃえよ」
突然言葉を遮られて、俺は俯き加減だった顔を上げる。 ナルトはその紅の瞳で俺を見ていた。 表情は酷く苦しそうに歪んでいて…
「忘れられないよ…」 「そうだな…確かに忘れられないよな。馬鹿のナルトに化かされて、騙されてたんだもんな」
俺を嘲るような口振りの所々に自分を卑下するナルトがみえる。
「俺はそんな風に思っていない!!」 「まぁそうだな…随分イイ思いもしたわけだしな。それが化け狐であったとしても。 オレの中はそんなに心地よかったか?」 「ナルト!!」 「ああ…そうだった。謝らないとね」 「?」 「あれはオレが勝手にアンタのとこに通ってたんだってね?オレてっきりアンタが憎しみの 余りオレを弄って愉しんでるんだと思ってたよ、ごめん」 「……」 「まぁ、結果的には随分とオレを苦しめてくれたわけだけどさ…ある意味本望だったでしょ? 汚らわしい狐に触ってしまったのは大誤算だったけど、その分精神的にオレを追い詰める事 が出来てさ」
ナルトは素早く目の前に移動し、俺の口布を下ろす。
「な…」
そしてスッと細い指で顎を絡め取ると、背伸びをしながら驚く俺に口付けた。 それは今までに味わった事の無い甘い、とても甘いキス…
「アンタやっぱカッコイイね」
抱き締めようと伸ばしたその手はナルトに届く事は無かった。 ナルトは俺の前から一瞬で元居た場所に戻る。 湖の中に足をつけて、さっきまでのことが幻だったのではないかと思うほど自然にそこに居た。
「ねぇ〜人々は一体どれだけ憎めば気が済むの?オレは大切な人を殺されたことなんて ないからわかんねぇ…憎って何?どれだけ憎めば気が済むの?」
それは俺に問いかけるというよりは独り言に近くて、俺はただじっとその言葉を聴いていた。
「オレはね、凱亜がなんで里を襲ったのか知ってるから…何にも言えない。 凱亜の苦しみが痛いほど伝わってくるから…それを棚に上げてお前を憎む里の莫迦どもが 許せないんだよ」
凱亜? ナルトはその人物と話しているのだろうか?
「そんなにオレたちを苦しめて、いっそ死んでしまいたいと思うほどに追い詰めたいのかなぁ? ねぇ、どうなのカカシせんせー」
突然俺に向けられた言葉と視線…その瞳からは大粒の涙が零れ落ちていた。 何も言えなかった。 ナルトのそんな顔を見たのは初めてだったから。 どんなに暴言を吐かれて、暴力を受けても一度も涙を流す事の無かったナルトが泣いている。 それは悲しいとか辛いとかの涙ではなく、憐れみの涙。 一生憎しみに捕らわれ続ける人々へ、否、俺に向けられた涙なのかもしれない。
「オレは奴らの…そしてアンタのお望み通りこの世から消える」
スッと首元に当てられたクナイがナルトがしようとしていることを嫌でも俺にわからせてくれる。
「やめろ!ナルト!!」 「近付くな!!」
大量の殺気と共に発せられた声にこの俺が一歩も前へ進めなくなった。 声も出ない、動けない…たった一人の少年の声だけで。
「アンタの事が好き過ぎて、現実では叶わない事なんてわかりきってたから…夢幻になって アンタの元へ通った。アンタがオレのこと憎んでるの知っていたから…」 「……ナル…ト」
俺の頬に伝う熱い雫… 俺がこんなにもナルトを追い詰めた… 俺のたった一言が…違う、俺がナルトの担当上忍になってからずっとナルトに向けてきた 強い憎しみの心がナルトを追い詰めた。
「それは嬉し泣き?夢幻が居なくなって悲しいから?それとも同情の涙?」 「ナルト、俺はお前をあ「それ以上何も言わないで!!…もう何も聞きたくない…」
ナルトの周囲に紅い紅い雫が降る。 ナルトの側に行って早く止血しないと!ナルトが…死んでしまう… なのに身体は一向に動こうとしない…
「動け!動けよ身体!!」
どこかでナルトが死ぬ事を願っている自分がまだ居るのだろうか… 動こうとしない身体に俺は激しく唇を噛み締めた。 そんな俺にフワリと柔らかく微笑むと、ナルトは湖に向かって崩れていく…
「アンタの事本気で好きだったんだ…アンタのこと好きでゴメン…バイバイ、カカシ先生」
そして…ナルトは静かに湖の底へユラリユラリと沈んでいった。
「これで満足か?」
俺は湖をじっと見詰めながら自分に問いかけた。
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